【穀霊信仰】魔を滅し福を招く室町時代頃からの習慣

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 節分に鬼退治をするようになった背景として、昔は災害や病気などの忌々しい出来事が邪気、すなわち鬼の仕業であり、特に寒さがまだ厳しい立春は、季節の変わり目でもあり体調を崩す人が少なくなく、邪気がきやすいと考えられていたことがあげられます。

 節分では、まず福豆を準備します。大豆を炒り、豆まきをする夜まで、枡または神様にお供えものをする器である三方に入れて神棚に供えておきます。鬼は真夜中にやってくるので、豆撒きは夜に行います。豆まきは本来、家長の役目ですが、年男、年女、厄年の人が豆まきをすることもあります。また、家族のイベントという意味合いも強いことから、家族全員で豆をまくこともあります。昔は、邪気、つまり鬼は目に見えないものとして恐れられていました。ですから、誰かが鬼を演じるということは、本来必要ありません。家の玄関や窓を開けて、「鬼は外」と豆をまき、鬼が戻らないようすぐに戸や窓を閉めてから、「福は内」と部屋の中に豆を撒きます。豆まきが終わったら、1年の厄除けを願い、自分の年齢よりも1つ多く豆を食べます。

 農耕民族として長い歴史を持つ日本では、お米、麦、ひえ、あわ、豆の五穀に災いを払う霊力があると信じられてきました。豆まきの習慣は、室町時代の貴族には定着していたようですが、次第に形骸化し、それが寺社に取り入れられて豆で鬼をはらう行事へとなっていき、武家や一般へと普及していったようです。

 スーパーやコンビニには、節分コーナーが設けられ、豆製品や恵方巻きなどが立ち並んでいます。豆まきは、おはらいと福を招くことがセットになっていますが、恵方巻きは福を招くだけでおはらいの要素がありません。日本の古いしきたりや習慣は、高度成長期をひとつの境にして多くが廃れました。節分が生き残ったのは、家族で楽しめる行事であり、伝統行事と企業の製品開発の流れがうまく適合したためかもしれません。

節分に豆をまく理由

 大寒の最終日である立春は、厳冬が明けて草木が芽吹く1年の始まりとして重視されました。新年に福を呼ぶために、邪気をはらうさまざまな行事が催され、やがて立春前日がいわゆる節分として定着したとされています。

 節分に鬼退治をするようになった背景として、昔は災害や病気などの忌々しい出来事が邪気、すなわち鬼の仕業であり、特に寒さがまだ厳しい立春は、季節の変わり目でもあり体調を崩す人が少なくなく、邪気がきやすいと考えられていたことがあげられます。

 ところで、豆は大豆を炒ったものをまきますが、平安時代に京都の鞍馬山の鬼が都を荒らしに来た際に、毘沙門天のお告げによって、炒り大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという逸話がもとになっているようです。鬼の魔の目、つまり魔目(まめ)に豆を投げることは、魔を滅するという魔滅(まめ)に通じ、豆を炒ることは、魔を射ることにつながると考えられていました。

 昔も今も季節の変わり目は、体調を崩しやすいことに変わりありません。1年の厄払いと健康を祈願して、節分に豆をまきます。

一般的な豆まきの手順

 まず福豆を準備します。福豆とは炒った大豆のことです。豆を炒り、豆まきをする夜まで、枡または神様にお供えものをする器である三方に入れて神棚に供えておきます。

 鬼は真夜中にやってくるので、豆撒きは夜に行います。

 豆まきは本来、家長の役目ですが、年男、年女、厄年の人が豆まきをすることもあります。とはいえ、家族のイベントという意味合いも強いことから、家族全員で豆をまくこともあります。

 昔は、邪気、つまり鬼は目に見えないものとして恐れられていました。ですから、誰かが鬼を演じるということは、本来必要ありません。しかし、鬼の役がいたほうが豆まきをしている感じがするので、鬼のお面などを利用して家族の誰かが鬼の役をやることもあります。

 家の玄関や窓を開けて、「鬼は外」と豆をまき、鬼が戻らないようすぐに戸や窓を閉めてから、「福は内」と部屋の中に豆を撒きます。奥の部屋から順番に鬼を追い出すようにして、最後は玄関まで豆をまきます。

 豆まきが終わったら、1年の厄除けを願い、自分の年齢よりも1つ多く豆を食べます。新しい年の厄払いなので1つ多く食べる、いわゆる数え年として1つ多く食べる、元々が数え年と考え、新年の分を加えて2つ多く食べる、満年齢のまま食べるなど地域によって習慣が異なります。

豆をまくという日本独特の穀霊信仰

 農耕民族として長い歴史を持つ日本では、お米、麦、ひえ、あわ、豆の五穀に災いを払う霊力があると信じられてきました。

 古事記には、お米をはじめとした穀物に由来のある神様が登場します。今日でも神社などでは、散米の行事が執り行われています。おはらいや清めの目的でお米をまき、お米の霊力によって邪気を退散させるわけです。

 さらに日本では、お酒やご飯などのいわゆる加工品にまで、霊力が備わっていると見なしていました。大豆の霊力を利用するのは、散米と同じ理由です。

 豆まきの習慣は、室町時代の貴族には定着していたようです。当時の貴族の日記には、節分に鬼大豆打と記されています。室町後期に武家の礼法について記した書物にも、節分の夜に鬼を追い払うため、大豆をまいていたことが記載されています。

 古代の日本には、月の満ち欠けで暦を決める旧暦と、太陽の運行で決める二十四節気とがありました。立春は、二十四節気の中で1年の始まりを指し、節分はその前日です。もともと節分の日には、縁起の良い方向へ向かう方違(かたたが)えをして、静かにみそぎをする習わしだったようです。方違えとは、陰陽道に基づいて平安時代以降に行われていた風習のひとつです。  外出、造作、宮中の政、戦の開始などの際に、その方角の吉凶を占い、その方角が悪いといったん別の方向に出かけ、目的地の方角が悪い方角にならないようにしました。

 旧暦は、現在の太陽暦より約1カ月後ろへずれこみます。室町時代には古代の追儺の行事が形骸化するともに、それが寺社に取り入れられて豆で鬼をはらう行事へとなっていき、武家や一般へと普及していったようです。

恵方巻きと豆まき

 スーパーやコンビニには、節分コーナーが設けられ、豆製品や恵方巻きなどが立ち並んでいます。歳徳神のいる縁起の良い方角、つまり恵方を向いて太巻きずしを無言で丸かぶりする恵方巻きは、江戸時代に流行しました。

 豆まきは、おはらいと福を招くことがセットになっていますが、恵方巻きは福を招くだけでおはらいの要素がありません。

 日本の古いしきたりや習慣は、1960年代の高度成長期をひとつの境にして多くが廃れました。節分が生き残ったのは、家族で楽しめる行事であり、伝統行事と企業の製品開発の流れがうまく適合したためかもしれません。

まとめ

 節分に鬼退治をするようになった背景として、昔は災害や病気などの忌々しい出来事が邪気、すなわち鬼の仕業であり、特に寒さがまだ厳しい立春は、季節の変わり目でもあり体調を崩す人が少なくなく、邪気がきやすいと考えられていたことがあげられます。

 節分では、まず福豆を準備します。大豆を炒り、豆まきをする夜まで、枡または神様にお供えものをする器である三方に入れて神棚に供えておきます。鬼は真夜中にやってくるので、豆撒きは夜に行います。豆まきは本来、家長の役目ですが、年男、年女、厄年の人が豆まきをすることもあります。また、家族のイベントという意味合いも強いことから、家族全員で豆をまくこともあります。昔は、邪気、つまり鬼は目に見えないものとして恐れられていました。ですから、誰かが鬼を演じるということは、本来必要ありません。家の玄関や窓を開けて、「鬼は外」と豆をまき、鬼が戻らないようすぐに戸や窓を閉めてから、「福は内」と部屋の中に豆を撒きます。豆まきが終わったら、1年の厄除けを願い、自分の年齢よりも1つ多く豆を食べます。

 農耕民族として長い歴史を持つ日本では、お米、麦、ひえ、あわ、豆の五穀に災いを払う霊力があると信じられてきました。豆まきの習慣は、室町時代の貴族には定着していたようですが、次第に形骸化し、それが寺社に取り入れられて豆で鬼をはらう行事へとなっていき、武家や一般へと普及していったようです。

 スーパーやコンビニには、節分コーナーが設けられ、豆製品や恵方巻きなどが立ち並んでいます。豆まきは、おはらいと福を招くことがセットになっていますが、恵方巻きは福を招くだけでおはらいの要素がありません。日本の古いしきたりや慣習は、高度成長期をひとつの境にして多くが廃れました。節分が生き残ったのは、家族で楽しめる行事であり、伝統行事と企業の製品開発の流れがうまく適合したためかもしれません。

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