【食欲をそそる香り】ウナギにまつわる話

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ウナギのかば焼きの誕生

 ウナギは、関東では背から、関西では腹から包丁を入れます。これは、江戸時代までさかのぼり、江戸は武家社会の中心地であり、それを気にして、腹に包丁を入れることが切腹を連想させることを嫌ったからのようです。

 それでも背から割くようになったのは、江戸時代後半となり、比較的遅かったようです。同時にこの頃から、江戸のウナギかば焼きに蒸す工程が加わりました。

 そもそもかば焼きには3つの説があります。ひとつは江戸城前の沼のウナギをとって、これをぶつ切りにして竹串にさし、みそを付けて焼いて食べますが、その姿が蒲の穂に似ていることから、これをかば焼きと呼びました。もうひとつは、タレを付け焼きした色が赤黒く、樺の皮に似ているからです。最後のひとつが香ばしいにおいが早く伝わるので、香疾(かはや)きとのことです。

 当初はみそを付けていたかば焼きですが、しょう油とみりんでつくったタレを使い始めたのは、江戸時代中期にしょう油が関東でつくられ始めたのがきっかけです。その頃からかば焼きは、江戸の人々の人気料理となっていきました。その後、店頭でかば焼きを焼き、その食欲をそそる香りを振りまくことで、客足を集めるお店が出現し、ウナギといえば江戸前と言われるほど、江戸のウナギの味は、人気を集めるようになりました。

鰻丼のルーツ

 ウナギのかば焼き屋が登場してからしばらくして、かば焼きを使った鰻丼が江戸時代終わりに登場しました。考案者は芝居小屋の主です。主はウナギのかば焼きが大好きで、芝居小屋に届けさせていました。

 しかし、かば焼き屋から芝居小屋へ運ぶ間に冷めてしまいます。そこで、温かいご飯でかば焼きを挟めば冷めずに済みます。懇意にしているかば焼き屋に頼み込んで実現したのが、鰻丼の始まりのようです。

 ところで、鰻丼は大阪ではまむしと呼ばれます。鰻を「まん」と呼び、飯を「めし」と呼ぶことから、「まんめし」となり、最終的に「まむし」となりました。別の説としては、かば焼きが硬くならないように温かいご飯の間にかば焼きを挟んで、丼に盛ったことから、「間蒸し」、つまり「まむし」とついた説もあります。いずれにしても、これが始まったのは江戸の鰻丼が誕生する以前であったことから、ルーツは大阪ということになります。しかし、関東大震災後に東京のかば焼き屋が大阪に進出し、関西でも江戸前のかば焼きが主流となります。

各地のウナギ料理

 関東では背開きを行った後、頭を落として、大串の場合は身を四分六部に切り、竹串を打ちます。これを白焼きし、蒸してからタレを付けて焼き、ご飯にのせます。

 一方、関西の伝統的な手法では、腹開きの後、頭をつけたままで、丸のまま何匹か揃えて金串を打ち、白焼きから蒸さずにタレを付けて一気に焼きます。そして、火から下して金串を抜き、ここで頭を落として食べやすいサイズに切り、ご飯で挟むように盛ります。

 名古屋の場合は、腹開きしてから関西よりも細かく切り、ご飯の上に散らすように並べます。つまり、ひつまぶしです。

 九州の柳川は、関東と同じ背開きで頭は落としますが、串は打たず、箸でひっくり返しながらそのまま焼きます。焼けたウナギは、あらかじめタレをまぶして蒸しておいたご飯にのせます。

 道具も異なります。大阪は切り出し風で、京都は峰の部分が肉厚な剃刀型、名古屋は果物ナイフ風で、九州は小出刃が多くなります。

ウナギの頭まで使う大阪

 関西では、頭をつけたままウナギを焼き、焼き上げてから頭を落とします。理由は、ほどよく焼き上ったウナギの頭も無駄なく利用するからです。

 このウナギの頭は、うま味のあるだしが出ることから、煮物などによく使用します。有名なのが半助豆腐です。鰻の頭は半助とも呼ばれ、水と焼き豆腐に半助を加えて煮込むだけです。半助自体は食べません。

ウナギの粉

 浜松のお土産として知られる「うなぎパイ」には、「ウナギ粉」が練りこまれています。ウナギ粉は、国産のウナギのだしを粉末化したものです。

 お菓子にうなぎのだしと思われるかもしれませんが、オリジナルの配合で完成したうなぎパイの舌触りの良さとまろやかさは、一度食べたらやみつきになります。

まとめ

 ウナギは、関東では背から、関西では腹から包丁を入れます。これは、江戸時代までさかのぼり、江戸は武家社会の中心地であり、それを気にして、腹に包丁を入れることが切腹を連想させることを嫌ったからのようです。

 当初はみそを付けていたかば焼きですが、しょう油とみりんでつくったタレを使い始めたのは、江戸時代中期にしょう油が関東でつくられ始めたのがきっかけです。

 かば焼きは、かば焼き屋から遠く離れた場所へ運ぶ間に冷めてしまいます。そこで、温かいご飯でかば焼きを挟むことで、冷めないよう工夫したのが、鰻丼の始まりのようです。

 関東では背開きを行った後、頭を落として、大串の場合は身を四分六部に切り、竹串を打ちます。これを白焼きし、蒸してからタレを付けて焼き、ご飯にのせます。一方、関西の伝統的な手法では、腹開きの後、頭をつけたままで、丸のまま何匹か揃えて金串を打ち、白焼きから蒸さずにタレを付けて一気に焼きます。そして、火から下して金串を抜き、ここで頭を落として食べやすいサイズに切り、ご飯で挟むように盛ります。

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