【感激や感銘を超越する】感動

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 「感動」とはいったいなんでしょうか。広辞苑には、ある物事に感じて深く心を動かすことと記載されています。

 感動なき民族は滅びると言われます。世の中には理屈ぬきに人の心を揺り動かすものがあり、それに触れて人は感動という経験をします。

感動とは

 「感動」とはいったいなんでしょうか。広辞苑には、ある物事に感じて深く心を動かすことと記載されています。類似した言葉で、心が揺さぶられるという意味の感激や心に残るという意味の感銘のレベルを超越し、その後の生き方に恒久的な影響を及ぼし、心への強いインパクトを受けることが感動なのかもしれません。つまり、単に素晴らしい印象的な体験としてだけでなく、共感して自らの心自体が反応し影響を受けることです。

 感動は、事前の期待と実際に起こったことのギャップから生まれることがあります。初めてオーロラを見た人の多くは、自然の雄大さに心を打たれますが、画像やテレビで既にどんなものかを見て自分なりに想像をしている人は、画像やテレビと同じ程度と捉え、感動のレベルに達することが少なくありません。

 感動には、驚きとしての感動や達成感としての感動、充実感としての感動などがありますが、本質は理屈を越えた心の作用であり、さまざまな感動の種類は、単に感動をもたらす要因による違いによるものです。

感動のメカニズム

 脳の機能からみた感動するという現象は、五感および運動感覚を介する外部からの刺激情報が、大脳周辺部において美しいや気持ちが良い、素晴らしいものとして評価されると、前頭前野の高次脳機能の深い記憶、つまり命に関する原始からの記憶や懐かしい思い出が呼び覚まされ、その刺激でドーパミンやエンドルフィンなどの幸せに関与するホルモンの分泌がおこり、脳機能全体が高揚した状態になることです。

 通常の脳の機能は、入ってくる情報をこれまでの記憶や経験と照らし合わせて、それが何であるか、どんな意味があるかなどの評価を受けます。五感による円錐形、赤い、良いにおいがするといった情報と記憶情報から、それがいちごであると判断され、同時に大脳皮質からの抑制を受けて、理性的な行動になるので、直ぐ美味しそうな食べ物だからと飛びつくことはしません。さらにその情報が、前頭前野の高次脳機能でさらなる評価を受け、自分の場合であれば、子供と一緒に行ったいちご狩りの思い出に浸ることになります。

 感動の場合は、大脳皮質からの抑制を飛び越えて、直ぐに大脳周辺部からのドーパミンなどの分泌に繋がる現象のため、それがどんな意味があるのかを判断する前に高揚感が生じます。理屈を超えた感動は、期待した景色や経験からはあまりなく、思いがけないこと大きな要素となります。感動は本能のレベルを超え、高度な高次脳機能の感性に作用して、これまでの人生に関係する根源的な記憶を震わせるところから、脳に強い記憶として残り、忘れられない思い出となります。

自分が感動したこと

 自分の心を動かしたできごとのひとつは、学生の頃にブルース・スプリングスティーンの「Hungry Heart」を聴いたときです。その曲は、誰もが満たされない心を持っていて、その心は決して満たされないという意味です。当時は歌詞やその背景などなにもわからず、イントロが流れてきただけで、なぜか鳥肌が立ち、なぜか心の琴線に触れ、涙しました。

 また、始めて海外に出張したとき、場所はロサンゼルスでしたが、到着した空港から1歩外へ出て見上げた空があまりにも青くて吸い込まれそうだったこと、街中ですれ違ったいぶかしい表情の野良犬、そして道路脇でたくましく成長する雑草にもアメリカの壮大さを感じ、ただただ感動しました。

 さらに最近では、小学生の子供がyoutubeで魚を3枚におろすことを学び、魚を買ってきてはウロコのとり方や浮袋などの部位を説明してくれることに、ただならぬ好奇心と成長を感じ、なぜかその小さく健気な後ろ姿に深い感動を覚えました。

感動したどことなく身近な物語

 ぼくは中学生のころ、いじめられていました。太っていたし、頭も悪いし、ひねくれていて…男女共にいじめられていました。ズボンをずらされたり、蹴られたり、殴られたり・・・クラス全員から無視されていました。

 母が、「学校どう?楽しい?友達できた?」とか聞いてきたから、「うん!楽しいよ!友達いっぱいできた!」と答えていました。「○○君ち遊びに行ってくる!」と言って家を出て、一人川原でボーッとしていました。夏休みは長かったな。一人でボーっとしていても中々時間が過ぎないんです。母に心配かけたくなくてそうしていたのですが、やっぱり嘘はバレてしまうんですね。

 夏休みあけの授業参観日に体育の授業で、3~4人1組になって他の組と競争するという競技があって…ぼくはみんなから避けられているので、誰も入れてくれません。先生は「早くどこかに入りなさい」と言います。「入れてください」と言っても、どの組にも無視されて続けました。

 どうしようと困っていると、「じゃあ、私とやろう・・・」と声をかけてくれた人がいました。その人は、涙を流していました。僕の母でした。

 まわりからの目は痛かったです。ほかの保護者の人たちもヒソヒソと話しをしているのが分かりました。それでも母は、泣きながらも競技に参加しようとしてくれました。そんな母の姿をみて、僕も涙が零れそうになりました。

 その日の夜、いじめられていたことを正直に話しました。「俺の味方一人もいないんだ」と言ったら「なに言ってるの!私があなたの味方よ。何があっても、どんなことがあっても、仮にあなたが私のことを嫌いになっても、私はあなたの味方!!!いい?それだけは忘れないでね」

  その言葉を聴いて、涙が止まらなくなりました。

感動のおもてなし体験アンケート

 飲食店でどんなことに感動したのかを調査したアンケートによると、1位は自分のことを覚えていてくれたということでした。2位以降は、誕生日や記念日のサプライズ、歓送迎時の心遣い、子連れや妊婦さんへの心遣い、飲食に関する心遣いと続きます。

まとめ

 感動なき民族は滅びると言われます。世の中には理屈ぬきに人の心を揺り動かすものがあり、それに触れて人は感動という経験をします。

 感動は、その後の生き方に恒久的な影響を及ぼし、心へ強いインパクトを与えます。つまり、単に素晴らしい印象的な体験としてだけでなく、共感して自らの心自体が反応し影響を受けることです。

 自分は食品の製品開発という仕事柄、感動する製品の開発を常に念頭に置いていますが、未だにできていません。その意味で、いつもHungry Heart、つまり満たされない心を持っているということになるのでしょうか。そして、いつの日か、感動する製品をお届けしたいです。

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